三弥は自ら命を絶ちました

三弥の思い出

いつかはお伝えしないといけない「三弥の死」の真相を今回はお伝えします。

三弥は自ら命を絶ちました。自宅近くの新十三大橋から淀川へ飛び込んだのです。

2019年6月3日(月)21時頃、兄弟のグループLINEへ「仕事でしくじった。損害賠償となり反社会的勢力に狙われることになる」と意味不明の連絡があった。

私(兄T)は三弥へ22時過ぎに連絡した時には「誰かに付けられている気がする」と言っていた。警察に行くように促したが、三弥は「まだ何かされた訳ではないので、行けない」と固辞。少し話をしたが、何の解決にもならなかった。

その後、三弥は縁ある方々へ連絡をした様子。6月4日0時10分、最後に仕事関係者と会話をしたが、「大丈夫」と答えるだけであった。

6月4日(火)昔に父が勤務していた保険代理店から「警察へ連絡してほしい」との連絡があり。警察へ連絡すると、十三近くの橋の上に三弥の靴とスーツの上着が落ちていたとのこと。名刺等本人を示す所持品がスーツに入っていたが、自宅には本人がおらず、不明。捜索願いは吉本興業さんが出してくれた様子。ボート等で水中も捜索したが本人は見つからなかったとのこと。

尚、私達兄弟は三弥が拉致監禁されているか、自ら雲隠れしていると思っていたので、暇を見つけては携帯などへ連絡していた。

但し、全く反応は無かった。

6月7日(金)偶然休暇を取っていた私(兄T)は気がかりだったので、三弥の自宅近くで手掛かりが得られないかと十三へ向かい、阪急線十三駅へ到着した時に、警察から連絡があった。

「今朝、淀川の数キロ下流で弟さんらしき遺体が発見されました。淀川の底はヘドロで、飛び込んでも浮かんでこないことがある。昨日の雨で川が増水し、浮上して、流れて来たと思われます。」

遺体は隣駅の中津の警察で預かって貰っているらしいので、すぐに向かった。

これまでの経緯を聞いたところ、6月3日当日は夜20時頃から自宅を出て、近所を行ったり来たりしていた事が各所の防犯カメラで確認された。いずれも一人での行動であり、誰かが後を付けている様なことは確認されていない。決心がつかず、何時間も迷っていたのであろう。

翌日見つかった靴は橋の上で奇麗に両足が揃えてあり、その上にスーツの上着が置かれていた。本人であることが直ぐに分かる様にスーツに名刺入れや多くの本人確認資料を残していた。また、数日前に診療内科で受診していることも判明した。三弥はウツ病だったのだ。そして、色々な被害妄想をしていた。私達兄弟は誰も三弥がそんな状態であることを分からなかった。

最後に遺体と対面。遺体は水で膨れた体に、見たこともない形相の顔になっており、100%三弥であることの確信は持てなかったが、面影は三弥であった。

それから、本人確定のためのDNA鑑定が困難を極め、結局、兄弟のDNAを採取して判定することとなり、判定されるまで1ヶ月半を要した。

本人の死亡が警察で判定されないことから、仕事で穴を空けたことに説明が出来ず、亡くなった当初は「闘病後の病死」ということにさせて貰いました。よって、当時誤った情報をお伝えした方には誠に申し訳ございませんでした。お詫び申し上げます。

現在、事故現場の新十三大橋の丁度真ん中辺りに知人のYさんが三弥のシールを貼って下さった。大阪へ行く時にはいつもそれを目指して花束とお酒を持って供養に行っている。(十三駅方面の歩道です)

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