2006年10月号に掲載されたコラムです。
現在、噺家は江戸で400、上方で200人余りです。日本で「600」と言うことは、世界でも「600」ということです。そんな貴重な?存在ですが、我々が漫才師らのように今のお笑い芸人と決定的に違うのは徒弟制度であるということなのです。
上方は江戸と違い真打制度がなく、3年間(師匠によって違う)にわたって師匠の下で修行することによって暖簾分けされるのです(つまり「桂」の屋号を貰えるのです)。個々の格差はありますが、昔は師匠の自宅で住み込みでした。現在は通い弟子がほとんどですが、それでも辛いことは多い。この辛さは修行が開けた時の楽しさにつながり、苦しい時のバネになるのです。だからお笑いの専門学校を出た漫才師より辞める率が低い。頑張れるのです。
こんなことを言うと「昭和枯れすすき」のようですが、嫌なことばかりではありません。我が一門は特に言える。まず、海外に行ける。普段入れない所に行ける。食べたことのないものが口に出来る。普通では会えない方に会える。はっきりいって自分の全ての人生の中で体験出来るかどうかのことがこの3年間で体験できる。見方によっては苦しい3年間が夢の3年間となりうるのです。
実際、我が一門の修行中に見られる共通点は体重が10キロ程増加すると言うことです。「寿司も回っていないし、肉も噛まずにとろける」。そんな物を頂いて、「修行中のくせに」と思われますが、これは師匠流の激励なのです。
師匠も弟子時代に教わったそうなのですが、修行中、大師匠(師匠の師匠)には必ず豪華なおかずが付いていて、奥さんが師匠にわざと見せつけて「三枝もこれを食べられるように出世しいや」。このように言われたんやそうです。師匠もそれをバネに頑張れたそうです(でも大師匠の名誉のために、その当時噺家はそんなに裕福ではなかったそうです)。早くに売れて、修行してないように思われてますが辛いこともあったようです。それがあって師匠は我々を一流のところに連れて行き、一流のものを教えると同時に自分で一流のものを手に出来るように激励しているのだそうです。
こう書くと素敵な弟子修行に思われますが、間違ってもそんなことはないですから。まあ一番辛いのは、素敵な思い出をしょって修行が開けてからですから、幸せな人生を使い果たした気分になりますから。
『アドバンスコープ番組ガイド2006年10月号より』
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