葬儀は地元名張で

三弥の思い出

2019年7月下旬。淀川から見つかった遺体が1ヶ月半のDNA鑑定の結果、三弥と確定し、警察から遺体を引き取った。葬儀は地元の名張で行いたい旨を伝えると、遺体を保管している葬儀会社で、まず、お坊さんによる供養をしてもらい、大阪鶴見で火葬してもらう。

その後、三弥のお骨を持って名張市内の斎奉閣にて葬儀を行った。葬儀には親族のほか、桂文枝師匠を始め一門の方々や事務所関係者が参列してくださった。台風が近づいており、雨のなかをわざわざ名張まで来て戴きました。

三弥は吉本興業に所属していたが、当時、吉本興業は「ヤミ営業問題」で相当ごたづいているなか、渦中の会長さんと社長さんからお花を戴いた。忙しい中、恐縮です。

三弥の戒名は名張の専しょう寺の住職につけてもらいました。

落語家・桂三弥は上方の皆さんにも支えられましたが、生活をするうえでは、地元名張でケーブルテレビやFMラジオの出演があったからこそ、20年以上もできたと思います。だから、最後は地元名張で人生の幕を降ろせて良かったと思っています。

尚、遺体と共に遺品や家の鍵を警察から受け取り、この葬儀の前日に事件後初めて三弥の自宅へ入った。そこには落語に関する仕事道具や資料、自称野球オタクのグッズや資料、仕事で知り合った方々からの戴きもの、思い出の写真等、落語家人生を満喫するようなものばかりで部屋が溢れていた。

以前、三弥が生活に苦しいと思われた時、私(兄T)は「落語家が続けられなくなっても、別の仕事をしたらエエやん」とアドバイスをしたことがあったが、それは全く三弥の本意ではなかった事を思い知らされた。

三弥は人生最後まで落語家でいたかったに違いないと思われる。

コメント

タイトルとURLをコピーしました