高校駅伝

三弥の思い出

冬が到来し、駅伝シーズン真っ盛りとなっています。毎年12月に開催される全国高校駅伝も2023年は12月24日に予定されており、男子は地元の伊賀白鳳高校が三重県代表として出場します。

頑張れ、伊賀白鳳!

そして、正月恒例の箱根駅伝でも伊賀白鳳出身の選手が出場すると、つい応援したくなりますよね。

実は、三弥も高校時代は駅伝の選手でした。しかも、東海大会出場です!

 三弥も含めた私達兄弟、5人中4人が名張桔梗丘高校陸上部の長距離選手でした。そして、その名張桔梗丘高校の陸上部が伊賀白鳳に肉薄し、「全国大会が現実味を帯びた」時代があったのです。

1985年阪神タイガースが日本一となった翌年なので、相当前になるのですが、私(実兄T)が高校3年生の年は、三重県内の長距離選手は飛び抜けた選手がおらず、各校に分散されていました。

ライバル校は、四日市工業・上野工業(現・伊賀白鳳)・三重・名張桔梗丘。まさに4強の様相でした。

名張桔梗丘のメンバーは強力な2年生4人に、3年生3人の計7人がレギュラーです。2年生は春のインターハイ三重県予選の5000m優勝者を筆頭に、直前の新人戦でいずれも上位入賞する強者揃い。加えて、3年生は3人全員が3000m障害物の選手で、前年新人戦優勝者や、春季大会優勝者。一番遅かった私でさえ、インターハイ県予選5位と、メンバー全員がいずれかの大会で入賞する穴の無い布陣が初めて揃ったのでした。

そして、全国大会が初めて現実味を帯びて来ました。

春のトラックシーズンは名張桔梗丘と三重の選手が調子良く、それに比べ、四日市工業と上野工業は主力選手は強いが、7人中1~2人は力が落ちる、穴の区間がありました。

なので、全国大会への最大のライバルは三重高校なのではないかと思えるほどだったのです。

しかし、そんな期待も、夏の過ごし方で大きく変わりました。

危機感を募らせた上野工業は、夏に、当時全国でも強豪だった兵庫の西脇工業と合宿をして、底上げを図りました。やはり、強豪校との合宿は選手の意識を変えたのでしょう。上野工業は強くなっていました。

一方、名張桔梗丘の3年生は夏休みに何をしていたかというと、

予備校で夏季講習です。

一応、進学校の端くれだったので、受験生です。6月下旬のインターハイ東海予選が終わり、一旦、陸上は休止。受験勉強に励みがら、9月に復帰して練習していました。

結局、夏の過ごし方で差が出て、

1位 四日市工業、2位 上野工業(現・伊賀白鳳)、3位 名張桔梗丘、4位 三重 

進学校には厳しい結果となりました。

それでも、メンバーの揃った名張桔梗丘は起伏のある山岳コースで2時間17分28秒の学校最高タイムを出し、その後も後輩に破られることはありませんでした。(37年経過して、高校生の記録が向上した2023年でも三重県予選6位に相当するタイムです)

強力2年生が3年生となった翌年、名張桔梗丘は2位となり、学校歴代最高順位を達成しました。

しかし、全国大会へ出場できるのは1位のみです。その時の1位は上野工業(現・伊賀白鳳)。それから、上野工業は全国の常連校となったのです。

それに比べ、名張桔梗丘はその後のスカウトも上手くいかず、弱体化していきました。

まさに、あの夏、私達が予備校の夏期講習に行っていた名張桔梗丘と、西脇工業と合宿をしていた上野工業との差が、その後の2校を大きく左右する結果となってしまいました。

ところで、三弥はというと、名張桔梗丘が三重県予選2位となった年に1年生で陸上部に入部。強力な3年生が高校駅伝東海大会の出場権を獲得してくれたが、11月下旬に開催される東海大会には多くの3年生が受験勉強のために引退。そこで、1年生の三弥にも出走する機会が巡ってきました。オマケの出場でしたが、東海大会に出場したことは事実なので、本人には良い思い出だったのでしょう。三弥の高校駅伝東海大会出場の裏話でした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました